台北捷運淡水信義線 大安森林公園駅
台北駅から台北101に行く途中にある駅の一つと覚えていただければと思う。
繁体字でもほぼ変わらないその名前。
私が台湾で訪れた駅の中で好きな駅の一つである。Best5くらい。
ホームは2011年以降に開業した駅あるあるな構造。
にしてもおじさんの写り込みがすごいな。なぜに撮ったときに気づかなかったんだ。
ホームからコンコースに上がり、南側を見ると他の駅にはないような空間が見える。
この空間がお気に入りなので、改札を出てしまおう。
改札は2か所あるがどちらを出ても問題ない。
ここ。改札外のこの空間。
外の空間と隣り合わせになっている。
この空間は外から見るとこんな感じ。
庭のような場所。
地上階(道路と同じ階)から見るとこんな感じ。
一回中間階にある出入口から入りなおして、先ほどの空間をもう一度見てみよう。
良い。
何度来ても良い。実際に何回も来た。
台北にまた行けるならここに来ます。
さて駅名の由来でもある大安森林公園は、広々とした自然公園である。
日本でも、街中の森林公園と言うと札幌の豊平公園が近いかなとは思う。
気候は全く違うので、空間的なお話としてだが。
適当に散策し、人々が思い思いの過ごし方をしているのは駅の中も外も変わらないというのが見られる。
こういう空間が何度も足を運びたくなるものだと思う。
ちなみに大安森林公園の駅ナンバリングはR6。
Twitterのアカウントの一つがR6なのはここから採っている。
今回は好きな駅のお話でした。
2022年 謹賀新年
あけましておめでとうございます。もとりんです。
2021年も割としんどかったです。2020年よりはマシだったけど。
ブログやサイトの更新はめんどくささよりもしんどさが上回っていて、
無理にするほどでもなかったのでお休みしてました。
正直な話、7月くらいから部署が変に大変になってしまい、10月から11月にかけては本当に心身が危ない状況でした。倒れるほどでもなく、10月末に信濃大町行くことができたのはなによりでした。
その後は個人的に立ち直る機会があったのでなんとかやってます。
いろんな悪い予感が起こる前に脱出しますかね。
さて、2021年もなんだかんだで駅巡りはやってました。
各月について思い出に残り、ツイッターでも上げてたものをピックアップして紹介しましょう。
1月:
特になし。18きっぷを無理やり消化していただけでしたね。
どんな滑り出しやねんと。そんなんだからろくなことが起きないんやろ。
ただ羽沢横浜国大に初訪問したり、相鉄線そのものに初乗車という記録がつきました。
2月:
週末パスで初めての松本へ。
大糸線も穂高まで駅巡り。この時はまだ大糸線にまた乗るとは思ってはおらず。
久々の長野駅訪問もできて、仕事で災難が発生した自分を一時的に癒してくれました。
この月は月末に江ノ電駅巡りもしてました。
3月:
この月も特になし。駅巡りとしては相模線を全駅訪問したくらいですね。
1月にもちょっと乗ってるんですけどね。この時は新車とかそんな話もなく。
4月:
月初に関門海峡+仙崎に行ってました。この年初めて2泊3日の旅をしたかな。
下関のあたりは2回くらいちょっと来てる程度で唐戸とか門司港とかちゃんと観光したのは初めてでしたね。仙崎も面白かったけど雨が大変だったな・・・。
この年1度目の山口県。
5月:
連休は西日本。2か月連続で山陰本線に乗ってました。
山陰本線乗ってるときに、今後の人生も考えないとあかんよなぁ~とか思ってたら、後にフラグになってた。
6月:
特になし。運よくナゴヤドームのチケットが取れたので、ナゴヤドームで観戦し、ついでに旧駅舎が営業を終了したばかりの半田駅を訪問。
連休もなくシンプルな月・・・・だったのだが、ここから仕事的には苦しくなってくる。
7月:
連休を利用して北陸へ。新幹線が開業して以来では初の高岡訪問。
そして氷見線の駅巡りと雨晴の観光。
今度は氷見も観光かな。城端線も残っているな。
夏の北陸はなんて楽しいんだろうね。
7月は前半は東京近辺の駅巡りをしていたようで、仕事大変になったから気を紛らわすために近場でもなんとか消化しようとしていたのかな。
8月:
2度目の山口県。
本当は山口市周辺を旅しては最終日は福岡観光を予定していたのに
お盆を直撃した線状降水帯の野郎のせいで旅程崩壊。
湯田温泉をその分楽しみ、また来るよという感じで、
9月:
連休を利用して青森県へ。
それにしても本八戸駅って不思議な空間だなぁ。
大洗の方みたい。
この月まで仕事の方は何とか奮闘していたものの、いろいろあって病み始めることになる。
10月:
病み。なぜ病んでいたか、ここまでに何があったかなんて、まだ今の職場に起因しているのでまだ書けない。後に転職して気分が良くなったら書くかもしれない。他はこうなるんじゃないぞ!ってね。
そんな中、大町市で開催されていた芸術祭に行くため、2回目の大糸線の旅。
初日は大町市内の中心部をぐるって廻り、ついでに5駅くらい訪問。
2日目は大町市北部の湖をぐるって廻り、ついでに5駅くらい訪問。
3日目は小谷村から糸魚川に抜けて新幹線で帰る。
というついで訪問していたら10駅以上の新規訪問駅があった。
あと1~2回くらいで大糸線は全駅訪問達成できるんじゃない?
11月:
特になし。丸ノ内線を全駅訪問というか全駅撮影完了したくらい。遠出は無く、東京周辺をまわっていた。
病んでいたので、遠くに行く気力もなく、千代田区と文京区の喫茶店がつかの間の癒しになっていた。
月末に色々あり一応立ち直っていくことになった。
12月:
3回目の山口県。お前山口県好きだなと言われても仕方ない。何の因果かはわからんけど。広島は大学4年の時に行って以来なので6年ぶりだった。
仙台からは遠かったから仕方ないけど。
広島駅も岩国駅もだいぶ変わりましたね。
山陽本線は何度乗っても良い路線です。
と声を大にして言いたい。(要出典)
こんな感じの一年でした。
正直、半分くらいろくなことなかったなぁとか思ってしまって
しんどかった。
こんな思いしないように、2022年は自分のために行動して、仙台にいたころまではいかなくてもそれくらい希望を持てる暮らしをしたいと思います。
駅巡りの方は北陸本線を終わらせます。
後ろ向きな発言もあって、読んでくれた人には申し訳ないところもありましたが
秋以降個人的に趣味の方があんまりできていなかった理由は明かしておきたかったので、これでよかったと思います。
今年一年、どうぞよろしくお願いいたします。
真紅と蒼の彼方に想う
2021年10月27日、オリックスバファローズが優勝した。
おめでとう!心からおめでとう!
今となってはあまりオリックスの試合を見に行くことも無くなっていたが、学生時代の思い出の一つでもある。一時期ファンクラブにも入っていたが、京セラドームに行くこともなくなり自然離脱してしまった。
さて、オリックスと言えば、2004年~2005年にオリックスブルーウェーブと近鉄バファローズが合併してでき、そこから生まれたもう一つの球団が楽天という歴史はもう有名な話。
個人的には、オリックスバファローズって何者?楽天は野村監督だし田中将大も入ってくるし面白いねぇというくらいの認識でいた。ようするに興味が無かったわけである。*1
オリックスバファローズというチームに興味を持つようになったのは大学進学後の2012年。当時、兵庫県に生活拠点を移し、阪急西宮ガーデンズに入り浸るようになっていた。その阪急西宮ガーデンズの最上階。東宝の映画館と同じフロアに阪急ブレーブスの展示があった。阪急西宮ガーデンズは西宮球場の跡地に建てられた商業施設、オリックスの前身(の前身)であるチームの本拠地だった。
まだ、ここではそういえばオリックスは昔ここが本拠地だったんだなと少し関心を持つ程度。
その後、大学生活に慣れ、友人からオリックスの試合観戦に誘われる。
盛り上がりはあるけど平和な雰囲気。投げる木佐貫。
応援歌はわからない。見よう見まねで日高の応援をしてみる。
そこから何度か足を運んでいるうちに
京セラドームの空間を気に入り、翌年にはオリックスのファンクラブに入っていた。
2013年シーズン。オリックスの試合スケジュールを見ているうちに、面白い企画を見つける。
南海×近鉄の復刻試合。
ソフトバンクとオリックスが、かつての南海と近鉄のユニを着用し、応援歌も復刻するという試合。これは見に行かないわけにはいかない。
この試合を見て、オリックスバファローズは心の中に確実に楽しい存在として居ることになった。
その後、阪神戦でホームなのにアウェーという雰囲気を味わったり
バファローベルと2ショットを撮ったり
何かと予定が合えば、阪神電車に乗っては京セラドームに行っていた。
そして秋
無料と言う言葉に惹かれ、感謝祭に行く。
いろんなとこで選手のインタビューしてたり、選手と一緒にスポーツしたり、
ほぼ自由。こりゃ面白い。
今のV戦士になった平野と伏見のツーショット。なんとなく聞いてたら、今となっては貴重すぎるものを見たわけだな。やば。
この感謝祭で、松葉にサインを貰ったのだが、後に彼はドラゴンズの一員になった。
ある種、運命。
2014年、ドラゴンズは外野席の方で諸事情があり、大荒れ。
あまり行く気分にもなれず、オリックスの方を見ていた。
この年はペーニャの活躍により優勝争いまでしたシーズンだった。
10月2日はテレビで見てた。
悔しかった。
完全にオリックスバファローズを応援していた。
月に数度、三宮に行くことがあれば、帰り際には交通ビルの1階にある公式グッズショップに立ち寄っていた。
年に数度、予定とお金があれば、オリックスの試合を見ていた。
2015年、大学4年。
いろいろあった年だが、この年は最終戦にも行った。
試合終了後に選手とのハイタッチの為にグラウンドへ
目の前で泣き出す赤ん坊。がんばってあやす選手たち。その奥で直立不動の糸井。
当時、私は山本和作という選手を推しており、ちょうどハイタッチの列に本人がいたので、「応援してます」と伝えられたのは幸運でしかない。*2
偶然ではあるが、2015年シーズン最終戦が、2021年現在最後の京セラドームである。
2016年から2019年まで仙台暮らし。
大阪に行くこと自体のハードルが高くなり、楽天の本拠地もなかなか行けず、パ・リーグの試合は、友人に誘われた時に行く程度。
その後、なんやかんやあって西武ドームに行く機会が増えてしまい、オリックス・バファローズは2018年に西武戦で見たくらい*3で、オリックスという存在は薄れてしまっていた。
2017年以降、ドラゴンズブルーの復活、2019年には与田監督の就任もあり、昔のようにドラゴンズを応援するようになっていたわけである。
2021年、偶然ではあるが、ナゴヤいやバンテリンドームでオリックス戦を見た。
この時には昔よく見ていた選手もT-岡田や伏見くらいで、あとはモヤだ~、杉本はようやく本物見れたぞ~という認識。もう昔のにわか状態である。
この後、オリックスは交流戦を優勝し、パ・リーグで優勝争いをしていった。
本当に優勝できるのかと半信半疑になりながら、時折、オリックスの試合結果も気になるようになった。
9月30日。千葉で伝説的な試合が起こった。
9回表2アウト1・3塁、ロッテの投手は抑えの益田。もう負ける寸前。
ここでT-岡田が逆転の3ランをライトスタンドにぶち込む。
パ・リーグで今年一番のホームランだ!
この日以降、毎日のようにオリックスの試合をチェックし、パ・リーグTVのオリックスのところを再生するようになる。
この間、ドラゴンズは相変わらず低空飛行。打線がんばって。
そして2021年10月27日。
帰宅後、「そういえば今日のロッテの試合、結果によってはオリックスが優勝だよな。」
自然とロッテ対楽天の中継を点けていた。
もしかして?
最終回、マーティンもレアードも凡退。あと一人。
なぜか緊張してきた。
佐藤、三振。試合終了。
私、両手を高くつき上げ、ガッツポーズ。
オリックスが本当に優勝した。
いつの間にか離れていたはずなのに嬉しい。
オリックスが優勝したのである。
優勝特番を見て、特設サイトを見ていた。
こんな行動、2011年以来だ。*4
あれから1週間以上が経過し、CSが始まった。
オリックスにとって初めてのファイナルステージであり、緊張してしまうが、頑張ってほしいところである。
この記事で写真を漁っているといろいろと思い出が蘇ってきた。
また大阪で試合を見ようか。神戸にも行かないとな。
名古屋も見る傍らで見に行ってみようかな。
そうだ、(続きは未来で)
おしまい。
中央線・地下鉄東西線 中野駅
東京都中野区にある中野駅。新宿から快速で一つ目という場所にある。
中野というと都内では中野ブロードウェイという古びたビルの中に文化の塊がある空間が有名な場所である。
そんな中野駅。東京メトロ東西線の始発駅でもあり、これがネタになりがち。
今の4番線の駅名標。4番線は東西線の始発専用であり、JR方面が一切関係ないのりばである。
メトロ専用でありながら完全にJR仕様の駅名標である。
3番線。折り返しもあり、JR線の三鷹まで直通する電車も使用する。
これだといかにも境目って感じ。
反対に三鷹から東西線に乗り入れる電車が使うのは5番線の駅名標。
こっちは新宿方面へ向かう各駅停車も使用するので枝分かれのような形。
さて、3・4番線だけ駅名標がLED式になっている。
全てJRの管理という駅でありながら、東西線のりばの3・4番線だけはいろいろ混ざり独自の進化をしていた。
駅名標を含めホーム上の案内サインのLED化は2019年にかけてのことだが、当初は青色が強かった。2019年のうちに青色が水色に変わったのである種貴重な姿。
2016年~2019年の間の姿。
2005年に東京メトロに駅ナンバリングが入り、その後JRに駅ナンバリングが入ってなんか変なバランスとなった駅名標
2005年~2016年の姿。
と、見てわかる通り、JR初期型で帯が水色という特殊形態を採用していたのである。
こう見るとJRの駅だなと思う。
だが、3・4番線、発車標と自動放送は東京メトロ仕様なのである。
ややこしい。
と言っても、他社管理の駅でメトロが使用するのりばだけ発車標と自動放送だけメトロ仕様なのは他にもあるので、その点は特殊でもないようだ。
中野駅もう一つの名物
新宿方にある乗換専用通路。
ところどころレトロ。
番線標は貴重品。
水色もあるよ。
2番線に関しては2011年時点で既に置き換わっていた。
都内の駅はだいたい日常化してしまっているが、
写真整理ついでに紹介となった。
相変わらず文体は雑である。
2つのネタに支えられる大きめの駅でした。おわり
奥羽本線 鶴ヶ坂駅
もうあと2つで新青森と言う駅。
まだ開けた場所かなと思っていた。
新青森から乗った列車を下りたとき、
車掌にきっぷを渡した直後に目にはいた光景。
!?
雄大な自然・・・。
一瞬、北海道の田舎かと思うような自然の中の駅。
だが、ここは青森県だ。青森市だろうと、こういう風景があってもおかしくない。
古ぼけた跨線橋を渡り、駅舎を通り、駅の外へ出る。
コンパクトな駅舎だけど、JRマークからしてここはまだ本州だ。
近くに電話ボックスがある。トイレは無い。
駅前って、おや
建物が少ない。
ただ広そうな道路。そこをただ車が通る。
青森と弘前の間はどの駅も集落っぽいものがあるだろうと思った先のこの景色に衝撃を受ける。
少し進んでみる。また建物が見えた。
明らかに人が住んでいるとわかる家。道路側に傾いた標識。
ちゃんとバスが来るバス停。
いろいろ混ざりながらも、人の気配は確かにあった。
ふりかえって駅へ戻る。
列車の到着時刻が近づき、駅には3人ほどの人が来た。
普通列車に乗り、青森へと戻ったのであった。
10月に祝日を取り戻したい
いや、来年は取り戻されますが。
7月の4連休を生んだ代わりに、犠牲になった10月の連休。
いや有休を取れば良いんですが、そういう問題ではない。
10月にノー連休。12月も祝日無いんですよ?年末で忘れてないですかね?
すごいどうでもいいですが、出身大学は12月23日は元から休みでもなく、24日から休みでした。どうでもいい。
時代の境目についてゆるく考える
こんにちは。もとりんです。
社会人になると急速に時間経過が進んでしまうというのはありますよね。
もう3年目になるのですが、2019年以前が近いようで遠く感じます。
さて、2019年以前と言うとコロナ禍もなく適当にワイワイできて海外旅行も自由に行けてた時代でした。明らかに2020年以降と社会の雰囲気が全然違うので、時代が全く違うなぁと思うことができるのです。
ところで、時代ってどこで区切ればいいのでしょうか。
日本の歴史の場合は、明治以降は元号と言うか天皇が即位している期間で区切っているわけです。平成時代と言っても、30年もあるわけで初期のバブルから後期のアベノミクスまで世間の雰囲気が常に一緒とは言えないですよね。
このころとあのころの境目ってなんだろうってなったときに、何が契機なのか、そこで区切って良いものなのかとはありますが、
平成以降で時代をさらに細分化してみたいと思います。
昭和?生まれてないがな・・・。
1つ目の時代
バブル景気
最初はバブルからスタート。なのですが、バブル期は昭和末期からスタートしているので、元号が必ずしも境目になれるわけでもなかった模様。
2つ目の時代
1991年、バブル崩壊という明らかにわかりやすい境目。
バブル崩壊後の不況の時代というやつ
3つ目の時代
2000年代
小泉政権の政策なのかはわからんが、1990年代に比べたらそこまで不況とも言えず。
愛知万博があったからかなぁ。
このころの時代の始点・終点がよくわからん。
4つ目の時代?
と災難があり、なんか暗い雰囲気もあったやつ
2009年~2012年に民主党政権だったので
民主党政権期が一つの区切りなのかもしれない。
2012年に明らかに終わりを迎えた。
5つ目の時代
2013年~2019年
なんとなくだけど、アベノミクスやってからコロナが来るまでは、
変化はあったけど社会的なムードというのか、同じ時代とも言える。
と個人的には4か5つに平成時代は分割できるのではないかと思った。
好景気と好景気の間に不況が挟まっている中身の分厚いサンドイッチやんけ。
根拠を特に示してはいないですが、基準によっていろいろかわってくるんだろうなあと思います。おわり